楽譜の読み方

楽譜の読み方

楽譜の読み方

文責:上原

はじめに

私は芸術理論について、また哲学についてほとんど何も知りません。本文は無教養の素人が思っていることを書いただけだという旨を理解してお読みください。

  1. 芸術は誰のためにあるのか

芸術は創る者のためにあるのか、鑑賞する者のためにあるのか。

芸術はもともとどういった経緯で生じたのかは解明されていないようだが、絵画にしろ音楽にしろ、それは確かに創る者と創られる物との対峙から生まれたものだと思われる。そして、そこに「鑑賞者」はいなかったはずである。次々と芸術作品が創られていく過程で、ある作品に感動する人が生まれる。こうして「鑑賞者」が生じたのではないかと私は推察する。そして、時間がたつうちに「鑑賞者」が持つ芸術への影響力はますます増大し、芸術は「鑑賞者」のためのものという考え方が定着してきたと思われる。この価値観が社会一般に広がった状態で芸術は科学・技術力の発展と、宗教とともに発展してきた。

しかし、実際に創作の場では「創る者」が最終決定権を持ってきた。結局、「鑑賞者」が認めない芸術は社会で認知されることもなく、歴史上にも残らない。それでも芸術は「創る者」が自分の理想と本気で対峙することでしか生まれないだろう。作品は自分の理想のために、「創る者」のために創作されるべきであり、芸術は存在するべきなのではないか。鑑賞者は、生まれてきた芸術のなかから自分の感動するものを選んで信奉すればよい。芸術家が鑑賞者の感動するものを創ろうなどと思ってはいけないのだ。

2.作品は完成され得るのか

国語辞典を引くと、創るの意味として「手を加えて元と違ったものに仕上げる」「新しいものを生み出す」などと書かれている。でも、私は芸術の世界で「創る」という言葉の持つ本当の意味がこれらの言葉では表現されないと思う。つまるところ、芸術作品は本当に完成されたものなのか。私は次のように定義したい。

創る        理想を具体的な形・現象として表現すること。

理想ははじめから創作者の頭にはっきりとした形で浮かんでいることもあれば、創作の過程で見えてくることもあるであろう。また、いつまでたっても見えないこともあるかもしれない。音楽でいえば即興、美術でいえばアクションペインティングのように、偶然性によってつくられる芸術の場合、理想はだれにも見えていない。しかし、見えていないだけで理想は確かにあるはずなのだ。そしてその理想をみえる形にするのが創作なのだと考える。だから、この定義では「創る」ということは「完成させる」の意味を持ちえない。決して完成し得ないはずなのだ。理想を100%再現させることがどうしてできようか、いやできない。作品は理想を形にしようとしたその努力の結晶であり、理想の近似である。そして「創る者」と創られた物との壮絶な闘いこそ、鑑賞者に刺激を与えることができるのだろう。

3.演奏家はどうあるべきか

たいていの芸術は、創作者の意志はほぼ100%反映される。美術であれば、自分の手で創作することができる。また、音楽についても現代では録音技術もあるし、なにより現代を生きている自分の手で音楽を演奏することができるので、演奏される音楽についてもほぼ100%自分の意思を反映できるであろう。しかし、クラシック音楽はそれができない。ラフマニノフやショスタコーヴィチなど、最近の作曲家の場合は録音が残っている場合もあるが、たいていの作曲家の場合、現代に形として残された作品は楽譜しか残っていない。当然、楽譜だけでは演奏者が作者の意志を反映するには不十分であるが、しかし一方で作曲家の意志、理想は楽譜でしか確認できない。当然、この世に存在するCD、コンサート・・・といったものは創作者の意志を100%反映したものではない。CDなどの演奏の録音を聴いて、その体験をもとに演奏の練習をするという手法は、確かに曲の構成や印象を手っ取り早く理解できるという点で有効かもしれないが、注意を払わないと楽譜への対峙を疎かにすることになりかねない。作曲をするわけではない、作品を1から創るわけではない、しかし演奏家は間違いなく「創る者」である。楽譜に書かれた記号1つ1つはすべて、作曲家の理想を形にするために必要不可欠なのであり、演奏家はその1つ1つの記号をどう演奏に反映させればよいか真剣に考えなければならないのだ。演奏家は作曲家の理想を形にする、今は亡き作曲家の表現の代行者なのである。西洋では昔から「作曲家は神の楽器」すなわち、作曲家の仕事は神の創った作品を地上で表現することだといった考え方があるが、この思想の上では理想を具現化するという職務を担っている点で作曲家と演奏家は全く対等といえる。

ただ楽器を演奏しているのが好き、何も考えず楽器を弾いているということが悪いというわけでは全くない。そもそもそういう純粋な心がなければ芸術など誕生し得ないのであろうし、芸術が存在するうえで必要十分な精神性だと思われる。一方で、芸術について本気で考え、本気で作品と対峙し、本気で「理想」を表現しようとすることで、あなたは芸術の大いなる世界とその魅力に気づかされると思う。そして、本気で芸術に向き合うとき、あなたはきっと楽しいはずだ。