A自barの日々

A自barの日々

A自barの日々                   逆本(有)一

金曜日が生活の中心だった。5限が終わると準備を始める。大方の仕込みは前日にしてある。馴染みの酒屋が配達にきて、ちょっと世間話なんかする。地ビールのアウトレット品を安く卸してくれるので、各地の地ビールをいろいろずいぶん飲んだ。照明を投光器に切り替えた瞬間、オレンジの柔らかい光が部屋中を満たし本やビラやガラクタに陰影を与え、汚い部分は全て無かったことになる。真四角で真っ白な研究棟に週一で出現する闇酒場、A自barの開店だ。

仕入れを確認し初めて見る地ビールを開けてみる。音楽を選び料理を仕込み最初の客を待つ。ハイライトのメンソールを一本…。そのうちにペタペタ足音を鳴らして大月さんが来た。農学部図書室のベテラン職員で、白いヒゲをいっぱい伸ばして真冬でも雪駄というおよそ大学職員に見えないスタイルで、いつもニコニコしている。まずやってくるのは決まってこのひとだ。大月さんは最初にビールを、ヒゲを泡まみれにして2本ほど、あとは長崎の焼酎「壱岐」ばかり飲んでいた。大月さんが教えてくれたこの焼酎はA自barの定番で欠かさず仕入れていた。大月さんと飲んでると客がポツポツと集まり出す。理学部植物園の職員、自治会関係者、寮生、院生、卒業生、市民、たまに教員も。

出してる酒は小ビンの地ビール、焼酎、日本酒、ウイスキー、簡単なカクテル。一杯につき百円程度の利益がでる。浮いた金で食べ物を無料で出すので儲けは無い。(大学を営利のために使ってはいけないのだ!)客の食べるペースを見ながらチマチマと作っては出す。料理は全ておまかせ、メニューは無く大皿をシェアしてもらう(コロナ以前です)。料理を出し切ったときのためにスナック菓子や冷凍食品をストックしている。このためにスーパー3軒と酒の量販店の割引品をいつもチェックしてるし、水道水がマズイので神社の井戸水を汲みに行ったり、他の曜日も金曜のために動いている。

パソコンにスピーカーをつないでいると誰かがyoutubeで知らない音楽をかけてくれる。入れ替わりながら多い日で10人以上くる。そうなると地ビールは早々に売り切れてしまってコンビニに缶ビールを買いに走ることになる。真夜中過ぎにくるひともいる。始めたばかりのころは誰も来ない日もあった。続けていることで認知が広がって毎回誰か来てくれるようになっていた。ちゃんと帰るやつ、力尽きて畳で寝るやつ。

最後の客を見送り一人で飲む酒もまた良い。残り物を平らげて片付け。照明を落としたらもう外が明るい。では、また来週。。。(A自barは2018年に終了しました)

大月健さんのこと

周囲を安心させるひとだった。優しく信念の強いひと。資料の価値をよく知っていて学生の味方でいてくれる職員。ダダイズム研究者でもあり、辻潤や宮武外骨のことを「ええ加減なひとでな」と慈愛に満ちた調子で教えてくれた。釣りや俳句会でよく一緒に遊んだ。40歳年上の友達ができるなんて思ってなかった。

大月さんが妙な咳をしていることには気づいていた。長く苦しそうに咳き込むのが心配だった。でも気遣う言葉をかけても大月さんはいつも茶化して平気なふりをする。だんだん私が心配しすぎなのかという気になる。しかしやはり大月さんは病に侵されていた。ある夏の日、理学部職員組合が恒例でビアガーデンをやっているので大月さん含め仲間で飲みにいった。そのときに今は無い喫煙所で、食堂ガンが見つかったと聞かされた。告げられた余命は一年。大月さんはその話の最中さえハイライトを吸っていたので呆れた。大月さんの喫煙量を減らしたくて一本もらったのだけど意味があったのかは不明だ。よくお茶目な言い方をするひとで自分の病気についても「ガンが頑張っちゃって」とか、タバコを咎められたら「今更やめたらタバコがかわいそうだ」とか言って和ませてしまうのだった。ガンが分かってからもニコニコして負の感情を一切見せなかった。しかしある時病室を訪ねたらいつもと違う雰囲気で、大月さんが胃カメラの写真を取り出し自分の病状を説明し始めた。深刻でもないが和やかでもない感じで。腫瘍の大きさやどのように悪くなってるか。私は大月さんの傍らに座り何も言わずに聞いていた。あれは何だったのだろう。自分の命が尽きることを、私に言い聞かせようとしていたのか、弁明しようとしていたのか。死と向き合う段階にあって、私を気遣っていたのだろうか。でも私は大月さんが死ぬことを全然受け入れられず一人で泣いてばかりだった。優しく信念の強いひとのままで、大月健さんは亡くなった。棺にハイライトを1カートン入れた。最後のもらいタバコで1箱抜いておいた。

ある日のA自bar

地ビール 各300円

新潟ビール、富士桜高原ビール、ネストビール、他多数

日本酒 1合300円 焼酎 カルーアミルク カシスオレンジ 200円

おつまみ  各無料

鯛の寝込み   一匹丸ごとの白身魚を酒蒸しにして白菜、人参、トマトなどの野菜のあんかけで布団する

セセロリ       セセリとセロリの炒め

トマトマトン マトンのトマト煮 他