連続パンフ小説 吉田終末旅行

連続パンフ小説 吉田終末旅行

 

 

連続パンフ小説 吉田終末旅行

文責:有機彗星

「イマイさん、そろそろ私達も、卒寮しなきゃいけないみたいですよ」

「そんなことより、俺のAIM力を見てくれよ」

 イマイと呼ばれた寮生は、声かけにろくに答えず、自分の前に置かれている液晶ディスプレイを指差してそう言った。FPSゲームのトレーニングモードで、bot相手に連続キルの最高記録を叩き出した所だった。

「イマイさん、いい加減にしてくださいよ。卒寮しなきゃいけないんです」諦めずにもう一度言うと、イマイはうざったそうにコントローラを置いて振り向いた。「じゃあイスミ、お前だけ出ていけばいいだろ。俺はAIM力を鍛えなきゃいけないんだから―――」

 そこまで言ってから、イマイは眼前に広がる風景に絶句した。もう何百年経ったかもわからない間、ディスプレイだけを見ていたために気づいていなかったのだ。自分達が今いる現棟大部屋が、入寮した頃と比べてとてつもなく広く、そして閑散としてしまっていることに。

「イマイさん。もう私達しか残っていないんです」

イスミの言葉に、イマイは唾を飲みこむ。目の前に広がる現実を、イマイはまだ、受け入れられずにいた。

 全ての物に終わりがある。第五十次在寮期限問題、血の再入寮選考事件、西寮地下油田開発問題と言った、あらゆる困難を乗り越えてきた吉田寮においても、それは免れられない真理だった。気の遠くなるほど長い月日が経ち、吉田寮自治会の構成員のほとんどが卒寮した。食堂、西寮、そして現棟も、維持する人手がいなくなり、もはや廃墟と化してしまっている。長い闘いの中で勝ち取った自治権も、時の流れの中でその意味を失ってしまった。残されたのはたった二人だけの吉田寮自治会。そしてその歴史も、今、終わろうとしている――――――-。

「あの頃は、こんなんじゃなかったよな」イマイは絞り出すようにつぶやいた。

 あの頃、つまりイマイとイスミが入寮したばかりで、寮生活を大いに満喫していた頃。大部屋には毎日ひっきりなしに人が押しかけ、皆で交流を楽しんでいた。誰かが持ってきた映画を見たり、コタツを囲んで鍋をしたり、ボードゲームをしたりした。その日の大部屋は誰にでも開かれていて、そこにはこの世の全てがあるような気がしていた。しかし今はそんな面影もない。大部屋にはうず高く積もった塵と埃の他は何も残されていない。

 思い出だけがかろうじて、その捨てられた空間に意味を持たせている。ここはもう死んだ場所なんだ。イマイはそう思った。

「行きましょう、イマイさん。今の吉田寮から一人で卒寮するのは困難です。あなたのAIM力が要るんです」イスミはもう一度、イマイに言った。片手に握ったエアガンを差し出しながら。

 背には大きなリュックサック。おそらくこの時のために用意した物資が詰まっているんだろう。イマイと卒寮するこの時のために。イマイは一度軽く息を吐くと、頷いてから、そのエアガンを受け取った。

 大部屋のドアを開けて、足音を立てないように慎重に廊下へ出る。辺りを見回し、危険がないか確認する。FPSで培ったクリアリングの技術。それをフル活用して、イマイはひとまずこの周辺は安全だと結論づけた。

 あたりは不気味なほどに静かだった。吉田寮現棟の廊下と言えば、鶏や猫の鳴き声、受付でだべっている寮生らの話し声、誰かの足音、屋根を歩く猫がたてる音などで満ち満ちている場所だったはずだ。この静寂も月日によって奪われた結果なのか。イマイは少し感傷的になった。それをよそに、イスミはそそくさとリュックを開き、大きな紙を取り出した。

「今の吉田寮の地図です。といっても、だいぶ前のものなのでアテにしない方がいいかもしれません。人が住まなくなってから随分経って、この寮はもはや迷宮です。通常の卒寮の手順通りにはいかないでしょう」

 吉田寮からの退寮手続き。確か部屋を綺麗に片付けた後、いくつかのチェックをこなさなければいけなかったはずだ。説明を受けたのは半世紀以上前なので、イマイはもう細かい内容は思い出せなかった。

「クソッ。自治会員失格だな」イマイは悔しそうに、何かを殴るようなジェスチャーをする。

「しかたないでしょう。そもそもチェックができる人員が居ませんから。とりあえず寮から脱出することだけ考えましょう。他のことはその後です」

 脱出という表現をイスミは使った。手に持ったエアガンと、『一人で卒寮するのは困難』という先のイスミの言葉のことを思う。やはり今の吉田寮には、何か自分達の前に立ちはだかるような敵が存在するということだろうか。そうイマイが考えた時、それは現れた。

「……!イマイさん、下がってください」イスミに言われるままにイマイは後ずさる。すると廊下の角のあたりで、怪しげな影が動くのが見えた。「あれは…………ゾンビか?」

 影は人型をしていて、首や腕を小刻みに振るわせながら、のっそりと滑るように動いていた。小声で何かぶつぶつと言っているようだが聞こえない。その様子には生気が無く、静かな現棟の廊下に異質な不穏さをもたらしていた。

「ええ、あれは卒寮に失敗した寮生の成れの果てです。強い思いからこの寮に縛られてしまい、出られなくなってしまったんです」

その元寮生は廊下をゆっくりと歩いてこっちに向かってくる。呟いている言葉が段々大きく聞こえてきた「………ル、ミ………ル、ミール、ミール………」

「そうか、ミール!一日分のミールを消費しきれなかった為に……」

 ミールシステム。生協に一年分の前金を払う代わりに、毎日一定額の食費が保障される仕組みだ。普通に食べるよりも若干割安な代わりに、元を取るために毎日必ず生協で食事を摂らなければいけないという強迫観念に襲われ、常に生協の開店スケジュールを気にして生活するようになってしまうという恐ろしいシステム。多くの新入生が勧誘に負けてミールの海に飲まれていった。かく言うイマイも…………外食や鍋の誘いを、「今日分のミールがあるから」と言って断らざるを得なかったことが何度あったか。イマイは苦い思い出に歯噛みする。そしてこの元寮生もまた、犠牲者なのだ。

「寮に囚われたことによってルネにも吉田ショップにも行けず、ミールを消費することができなくなったのでしょう。そしてその無念からまた寮に縛られる。不幸な無限ループです」

 元寮生はそのまま廊下を歩き続け、ゆっくりとイマイたちの横を通り過ぎていった。北寮に消えていくその後ろ姿は、何だか物悲しく見えた。

 ミールの元寮生が消えた後、イマイたちはそそくさと受付に向かった。執念に囚われてしまったかつての寮生の姿はイマイの心に深い影を落とした。かつては同じ屋根の下で過ごした者だ。もう思い出せないが、一緒に会議に出たり、パンフを作ったりしたこともあったかもしれない。人というのはこんなにも変わってしまうものなのか。さらなる元寮生らとの邂逅を避ける為にも、一刻も早く脱出したかった。

 しかし、受付に着いたイマイたちを待ち受けていたのは、うずたかく積まれた段ボール箱の山だった。まちまちの大きさの段ボール箱が受付を完全に塞いでおり、人が通れる隙間は無かった。どうやら奥の方にもこの山は続いているようで、とてもどかして通り抜けられる規模では無い。

「これは、何だ…………?」イマイの質問に、イスミは吐き捨てるように答える。

「卒寮できなかった寮生宛の荷物でしょう。あるいは、寮を出たものの住民票を移すことをサボった人たち宛の、ですね。迷惑なことです。いつだって困るのは住み続けてる人の方なんだ」

 イスミの言葉をよそに、イマイは受付を壁から天井を通るようにぐるりと見渡した。薄暗い灰色の壁の上に何枚も重ねられて貼られたビラの数々を見る。書式も文体も様々に異なるビラの中から、自分にゆかりの物が無いか探す―――あった。何度も見返した覚えがある紙が。文字は擦り切れてしまってほとんど読めないが、確かに俺が書いたビラだ。紙面いっぱいにマジックで字を書いてそこら中に貼ったのだ。他のビラと同様に、今や何も意味をなさない古紙に過ぎないが。

 ここには確かに歴史があり、そして俺たちの生活もその歴史の一部だった。俺たちだけじゃない。寮生、寮外生、みんなの生活が。

さっきの元寮生のことを思い出す。ミールを消費するために移動を続けるだけの日々。しかしそれも一つの生活、一つの歴史なのだ。俺は物悲しいと思ったが、吉田寮というのはその悲しさや虚しさも、他の喜びと平等に受け入れる場所だったような気がする。

 イマイは我に帰った。何かを考え込んでいるイスミに声をかける。

「もうここに居てもしょうがない。行こうぜイスミ。渡り廊下から食堂に向かおう」

「食堂?居住棟では無くですか?」

「居住棟はさっきみたいな元寮生がうじゃうじゃいるんだろう。何せ各寮最低40人は入るんだ。いちいち個室を開けて安全を確認しながら進むのは大変だし、あいつらの生活を邪魔したくは無いからな」

 イマイとイスミは管理棟の廊下を戻り、食堂と現棟とをつなぐ渡り廊下までやってきた。小さい階段を降りようとしたところで、静かだったはずの廊下に「ズシン、ズシン」と低い振動が響いていることに気づいた。振動は一定のテンポを保って延々と続いていて、そして食堂に近づくにつれて大きくなっていく。おそらく遠くで鳴っている大きな音が建物を揺らしているのだろう。

 警戒しつつもイマイたちは進む。食堂横の廊下に出ると、西寮まで抜ける道は倉庫から崩れ落ちてきたガラクタで塞がっており進めそうになかった。左手のドアを開けて、振動の元があるであろう食堂を通る他にない。イマイはイスミの方に振り返り、イスミは軽く頷いた。

 ドアは古く建て付けが悪くなっていたが、軽く押しただけで金具から外れて床に落ちた。途端に音が大きくなる。低く鈍く歪んだ音だが、そのテンポは一定だ。「このリズムは…………!」イマイは警戒もおろそかに食堂に駆け込んだ。

 辺り一面に塵やゴミが積み上がっていた大部屋とは対照的に、食堂の床には何も置かれておらず見晴らしがよく、片付いているような印象を受けたが、イマイはすぐにそれが間違いであることに気づく。厨房に近い場所には何も置かれていないが、逆側の壁には壊れたイスやら机やら、その破片やらが転がっており、埃やら塵やらもなだらかに溢れて砂丘のようになっていた。まるで食堂中の物を集めて無理やり壁に押し込んだかのようだ。

 イマイは一直線に厨房の方に向かって歩いて行き、イスミもその後に続く。食堂は無人で邪魔立てはなく、すんなり目的の場所まで辿り着く。そこでイマイたちが見たのは、鉄でも貼り付けたかのような無表情で一心不乱に厨房のドラムを叩き続ける、元寮生の姿だった。

「マ、マツ!」イマイはその元寮生の名前を叫ぶ。しかし激しく響くバスドラムの低音にかき消されて、奴の耳には届かない。足を踏み出して近づこうとするが、音の圧に阻まれてそれ以上動けなかった。

 マツと呼ばれた元寮生は規則正しいリズムで、大きく太く激しい音を鳴らし続ける。マツは昔風のロックが好きで、荒っぽい人間味のあるリズムを好んだ。しかし今マツが鳴らしている音はまるでメトロノームのように味気なく機械的だ。激しさはあっても感動を産まない。イマイは大きなショックを受けた。

「マツさんは、努力家でしたからね…………」

「ああ。他の誰もがギターに流れても、マツだけはひたすらにドラムを練習し続けた」

「その執着がマツさんを元寮生へと変えてしまったんでしょう。もはや永遠にリズムを刻み続けるだけのモンスター。感情を失ってしまってもドラムを叩き続け、既に意味を失った8ビートをループ再生するだけです」

 イマイは言葉を失った。足と鼓膜を揺らす振動が、心臓まで伝わるようだった。

 イマイが入寮した当時、給食機能を奪われてしまった吉田寮の食堂は、イベントスペースとして使われていた。寮内外のバンドや劇団が公演を行い、勉強会や上映会なんかも開かれていた。厨房には楽器の練習スペースがあって、音楽好きな人たちが毎日とっかえひっかえ訪れていた。あの頃、食堂が賑やかでない時はなかった。マツとイマイもその賑わいの参加者だった。当時二人は同じバンドに参加していて、日中はいつも共にセッションをする仲だったのだ。マツの低いドラムとイマイの透き通るようなギターボーカルとのハーモニーは寮内の語り草だった。しかし、ある時を境にイマイは大部屋に引きこもるようになり、二人の演奏は途絶えてしまった。イマイは食堂に行かなくなり、マツと話した最後の言葉も、もう覚えていない。

 イマイは遠く過ぎ去ってしまった昔をなぞり、思い出を呼び起こす。マツと過ごした日々。二人は別に無二の友とかではなく、たまたまコミュニティが被っただけの仲でしかなかったが、その関係性には白ではない色付きがあった。寮内の交友関係とは大抵そういう物だ。名付けや一緒に過ごした時間にこそ価値がある。しかしその価値を今の今まで忘れていたことが、イマイにとってはショックだった。

「イマイさん、しかしまずいですよ…………まさに音の壁です。これじゃ、厨房の扉まで辿り着けません」そう言いながら、イスミはイマイの右手を目配せで示した。

 イマイもわかっていた。本当に長い間、マツはドラムを鳴らし続けたのだろう。食堂にあった物を全て空気の振動で吹き飛ばしてしまうほどに。その結果砕かれた椅子やら机やらストーブやらが食堂の壁を覆ってしまって、南側の出口も塞いでしまった。唯一出れるのは厨房のドアだけだが、マツがビートを刻む限り、イマイ達がそこに辿り着くことはあり得ない。イマイは右手に握ったエアガンを見る。わかっている。これでマツを撃って無力化すること。その他に厨房から脱出する術はないことは。

「イスミ、俺はそんなこと、したくない」

「イマイさん!……マツさんはもう元寮生に過ぎません。私たちの卒寮のためには、やむを得ない事じゃないですか」

「そうやって寮籍の有るか無いかで差別するのが、吉田寮自治会のやり方だったか?」

「…………っ」

 イマイの言葉に、イスミは黙り込む。イマイは一つ一つの言葉を、思い出すように紡いでいく。

「わかりあわなきゃいけないんだ。そのための努力は惜しんじゃいけない。少なくとも俺たちに、その余裕がある限り。話し合いだけが手段じゃない。言葉が通じない相手でも、やり方を探すくらいはするべきだ」

「でも、どうやって?」

 イマイはイスミの問いかけに、黙ってエアガンを手渡すことで答えた。そして単身で、厨房に向かって一歩を踏み出す。「ダメだイマイさん!それじゃイマイさんの体が持たない!」イスミの叫び声はドラムにかき消される。そして聞こえたとて、イマイは止まらなかっただろう。イマイは既に覚悟を決めていた。マツと自分との距離を、体が限界を迎えるギリギリにとどめながら、弧を描くようにゆっくりと進み、そしてたどり着いた。そこは厨房のドアではなく、その左側の倉庫。かつては野菜部屋と呼ばれていた場所だ。固く締められていた鍵は摩耗してボロボロになっており、簡単にドアは開いた。

「鍵はボロいけど、ドアは前に固いのに直したからな。マツ、お前がうっかり壊しちまったから。だからこの中は、お前の音も届いてなかったはずだ」

 イマイは倉庫の中で一人で呟き、奥に安置されていたギターを手に取った。埃は被っているが、どこも傷ついていない。かつてイマイが愛用していたテレキャスター。弦も錆びて、チューニングもできてないそれを空いた右手で握りしめて、倉庫のドアを開いた。マツと目が合う。ロボットのような表情でドラムを叩き続けるマツと。イマイがギターを構えると、マツの目が一瞬揺れたように見えた。

 イマイは黙ってギターをアンプに繋ぐ。ダウンピッキングでGを鳴らす。歪な音だが、イマイは満足した。

「マツ、やるぞ。俺たちのあの頃を思い出させてやる。何百年ぶりかのセッションの時間だ」そうしてイマイは鳴らし始めた。何度も練習したコードだ。ギターに触れば身体が勝手に思い出すくらいに。前奏に合わせて歌い始めると、ドラムの音が止まった。

「っ!イマイさん!」

 今度もイマイは聞こえていなかった。ドラムの音のせいではなく、自分の音に集中していたからだ。ゆっくりと、語りかけるように音を奏でていく。イマイはマツの目をただ見据えていた。

「……Lucy in the sky with diamonds」

 サビに差し掛かり、イマイは大声で歌い上げる。ボイストレーニングを欠かさなかったあの頃とは比べ物にならないしゃがれた声だが、構わない。自分がやりたいと思うこと。技量より経験より、それが一番大切だということを、イマイは思い出していた。楽器の練習に夢中だったあの頃、仲間達と共鳴していたあの頃の気持ちに返りながら、イマイは歌う。

 マツの目から雫が溢れたのをイマイは見た。鉄面皮を一筋の涙が伝う。マツは再び、ドラムを叩き始めた。先ほどまでとは違う、音楽に寄り添った優しいリズムで。

 次第にイマイの声は熱を帯びてゆく。たった二人だけでパートも足りないが、ともかくそれは音楽だった。全てを破壊する音の圧ではなく、誰かと繋がるための音楽。言葉とは違うコミュニケーションが、そこにあった。

 ラスサビを歌い終わり、三分間の会話が幕を閉じた。息切れしながら、イマイは黙ってギターを置いた。マツは変わらず無表情だが、イマイはこれ以上求めることはなかった。汗に紛れた乾いた涙の跡だけで、イマイは納得した。

「行こうぜ、イスミ」エアガンを持ったまま呆然と立っていたイスミに声をかける。もはや食堂からの脱出を妨げるものは、何もなかった。

 食堂の外に出る。辺りは早朝のようだった。辺りに人影はいない。千年の歴史を誇った吉田寮が滅んでいるのだ。京大の一つや二つ、滅んでいてもおかしくない。吉田近衛町一帯から人が消えていても宜なるかなだろう。

「こうして朝に寮の外を歩いてると、パンフ作りのために徹夜した時を思い出すよな」イマイはあえて場違いなことを言って緊張をほぐそうとする。そんなイマイの心境を知ってか知らずか、「ふふ、イマイさん、今日まさに徹夜してますからね」と笑いながら返した。

 イマイも釣られて笑う。思えば、徹夜と楽しい思い出はセットだったような気がする。パンフ作りは毎年大変だったが、やり遂げた時はやはり達成感があった。友人達と語らいあって良い夜を過ごし、名残惜しさから昼まで起きてしまったことは数えきれない。朝日は一種の合図のようなものだった。現棟の大部屋に白い光が差し込む瞬間を迎えるたび、勲章が一つずつ増えていくような気持ちになった。友と過ごした時間を飾る、つとめての日差し。

 その中に確か、こんな風に二人で歩きながら浴びた朝日があったような気がする。

「なあイスミ、覚えてるか?」

 正門に向かって歩きながら、イマイは言った。

「何をですか?」

「ほら、あのパーティーだよ。夕方から次の昼までぶっ続けでやった」

「パーティーって言ってもいっぱいありましたよ。どれのことです?」

「ほらあれだよ、徹夜で騒いで、最後に俺たちだけ残った」

「それもいっぱいありました」

「ええと、何だっけな、ほら、今まで遊んだボドゲ、最後に全部制覇しようって言ってやったやつ」

「ああ、ありましたね。イマイさんずいぶん飲んでました」

「そうだったな。なんだかあの日は悲しかったんだ。もちろん楽しくもあったけど、なんでだったかな」

「カラオケも麻雀もしましたね」

「他にも色々したよ。みんなで料理作ったり、夜の鴨川でドッジボールしたりしたぜ。最後だから思いつく限りやろうって……」

「ええ。そうでしたね」

「最後……?最後って、何が最後だったんだっけ。俺はすごく悲しかったんだ。最後だから悲しかった」

「………………ええ」

「あれは何のパーティーだったんだっけ。何の………………ああ、思い出した」

「……」

「お前の卒寮パーティーだ。イスミ。俺の大親友がいなくなるから盛大に騒ごうって根回ししたんだ。思い出した」

 イマイは一度目を閉じて、開いた。そしてゆっくりと言った。

「そうか、イスミ。お前はとっくに卒寮してたんだな」

「…………ええ」

「俺はずっと、幻を見ていたんだな」

罪を告白するような、苦しそうな調子でイマイがそう言うのを聞いて、イスミは微笑んだ。

「いえ。ずっとではありません。私が現れたのは本当に最近です。私の卒寮パーティー以降、大部屋に引きこもって一人でゲームだけをするようになったイマイさんを救うために、イマイさん自身が生み出したんですよ」

 イスミは静かに語り、イマイはそれを黙って聞く。

「イマイさんはあのままでは、他の卒寮できなかった元寮生達のようになってしまうところだったんです。ほぼなりかけだったと言っても良いでしょう。イマイさんがディスプレイの前で延々とゲームを続けるだけのゾンビになるまで、もう秒読みというところまで来ていました。しかしイマイさんの中に残っていた寮生活への思いが、偶然私を生み出したんです」

「俺自身が、お前を…………」

「確かに私は幻覚です。でもイマイさん、あなたはその幻覚と一緒に、ここまで辿り着いたんですよ」

イスミは手で指し示す。イマイ達は、イマイは、もう正門まで着いていた。東大路通が目の前に広がっている。

「イマイさん。私はあの時のことを思い出しますよ。入寮したあの日を」

「……ああ、俺ら、同じ日に寮に来たんだったな」

「そうですよ!どうすれば良いかわからなくて、受付の前でうろうろしてた私にイマイさんが声をかけてくれたんですよ」

「俺もその日が初日だったくせにな。でもなんか、仲良くなれそうだなって思ったんだよ」

 イマイはもう一度黙って、目を閉じた。そしてもう一度、目を開ける。

「そうだな。お前が俺の作った幻なら、続きは俺が言わなきゃ」

「……ええ」

 イスミは頷いた。

「……終わったことは終わったことだ。俺は前を向かなきゃいけない。イスミは卒寮した。寮は滅んだ。自治会ももうおしまいだ。そして俺は、卒寮しなきゃいけない。いくら懐かしくても、寂しくてもだ。時間が前にしか進まないことが、どれだけ憎く思えても」

「もう一度入寮することはできない。俺はここを出ていくしかない。でもイスミ、お前と俺は、そうじゃないよな」

 答えはない。イマイは一人なのだから。しかしイマイには、「ええ、その通りです」という声が聞こえた。

「俺たちはまた会える。お前を探しにいくよ。寮の外のどこかで生活してるお前を」

イマイは一歩を踏み出した。そしてまたもう一歩、踏み出そうとする。

「吉田寮が無くなっても、俺たちは居る。だからまた会って、始めれば良いんだ。そうだよな―――-」

 俺たちの吉田寮自治会を。そう言うと同時に、イマイは正門を超えた。立ち止まって東大路を一望する。目的地はわからずとも、思い出と共に歩いていくんだ。楽しさも寂しさも、忘れることなく。全然満足していないけど、休憩時間はもう、終わってしまったのだから。

 イマイは歩き出す。その後ろには、「家賃3万 家具、イベント、友達付き」の白い看板が、あの日と同じように立っていた――――。

終わり

※この物語はフィクションですが、実在の人物、寮、自治会などとは、若干関係があります。